archivist_kyoto の雑記帳

ネタを考えるための雑記帳です。 NO HUG NO LIFE

心機一転のご挨拶2024

この度、 

慶應義塾大学 文学部 人文社会学

図書館・情報学系 図書館・情報学専攻 准教授

となりました。

東京大学大学院情報学環については、「もう少し役に立て」ということからか、引き続き、

東京大学大学院 情報学環 客員准教授

としてお世話になります*1


と、書きましたが、上記をご覧いただいても、「なんも変わってないやんけ」というお声もあろうかと存じます。

実は、これまで「准教授(有期)」でしたが「准教授」になりました。

居室も少し移動してます*2


ということで、しばらく(最長十数年)三田でお世話になることになりました*3


3年前、この専攻に参ったとき、以下のように書いてました。

図書館情報学の本山みたいなところに、図書館のことがまったくわかってない僕が行ってどうするのか、という不安が、僕にも、恐らくみなさんにもあると思います。

 心機一転のご挨拶2021 - archivist_kyoto の雑記帳

まだまだ不安、ますます不穏です。


なにしろ、同時に専任教員なった方は、日本におけるデジタルヒューマニティーズの第一人者ですし、昨日まで専攻でご一緒していた方が、本日から国立国会図書館長になられるような環境です。

もちろん、これまでの教員の方々、いまご一緒している方々、みなさん一騎当千ですし、修了生の方々にも各所で本当にお世話になりっぱなしです。

みなさんの驥尾に付して、ともかく少しでも業界や所属大学に貢献できるよう、心機一転して頑張ります。

 

なお、5年前、地方公務員から大学教員に転職した際に、以下のようなエントリーを書いてました。

archivistkyoto.hatenablog.com

 

そして、3年前に今の専攻に参った時に、上記のエントリーのこころをつづめて、以下のように申してました。

概ね以下のようなことを目標としていました。

・広い意味でのアーカイブズを、デジタルや制度からのアプローチで考えていく

・長尾構想を僕たちの世代で受け継いでいく

・ダメそうなアイデアを恐れず出す

・その場のにぎやかし要員 ・関西への積極出没

心機一転のご挨拶2021 - archivist_kyoto の雑記帳

これに加え、「図書館機能の再定置」というこの数年繰り返し申していることを議論の軸として育てつつ、デジタルアーカイブ・MLA連携・図書館情報学をそれぞれ論じていければと存じます。特に、MLAを一応なんとか見通した上で議論しようとしている指向性は自分でも大事にしたいと存じます。

 

しかし、一方で、僕に僕なりの価値があるとすれば、どこにあっても「闖入者」だということにあると存じます。

MLAどこであっても、所属大学でも、各学会であっても、全く外部ではないけど、全くのインナーサークルの人間ではない、という立ち位置を保持しつつ、倦まず弛まず議論を鍛え、実践に活かしたいと存じます。

 

みなさんには、旧倍の(本当に旧倍の)ご愛顧と、ご指導ご鞭撻を伏してお願いするところです。

一緒に楽しいこと、後世に遺せることをやりましょう。

*1:受入講座は、吉見俊哉さんが主催の寄付講座の流れを受け継いだ「講談社・メディアドゥ新しい本寄付講座」(主任:渡邉英徳教授)になります

*2:なお、居所も本格的に移しました。大阪府吹田市の眺めのよいマンションを売り払い、文京区小石川の古い小さなマンションに住まってます。お近くにおいでの際は、漏れなく迎撃しますので、是非お知らせください

*3:つまり、京都府を退職してから5年ぶりに任期を気にしなくてよいことになりました。80歳を越えてもますます暴れ回っている御大がおられたりしますが、僕は怪物にはなれないので、最長でも75歳までを活動期間と考えています。そうすると、変化しながらもアウトプットを出せる活動のスパンを25歳から75歳までの50年として、そのうちの約半分の25年程度が、京都府職員時代とあわせ「任期のない」被雇用者となりそうです。

30年目のご挨拶

口上

ええと、今年も、
慶應義塾大学文学部准教授*1東京大学大学院情報学環客員准教授*2
であります*3

なので、特に環境が変わるということもないのですが、これまでの振り返りと一応の抱負を書き付けておこうかと。

なお、

広い意味でのアーカイブズを、デジタルや制度からのアプローチで考えていくことになります。そこには文化資源から考えるMLAの課題や人材の話なども絡んでくるでしょう。 また、「長尾構想を僕たちの世代で受け継いでいく」という、たまにいってる本音とも密接につながる

心機一転のご挨拶 - archivist_kyoto の雑記帳

と書いて3年、

図書館どまんなかのことではなく、情報教育をしっかり行いながら、デジタルアーカイブやMLA連携の立場からいろいろ考えてみろ、ということだと捉えて、これまでの延長線上で、また大胆に柔軟に議論を組み立てていければ

心機一転のご挨拶2021 - archivist_kyoto の雑記帳

とも書いてから1年、それぞれ経過しましたが、課題は追求中です。

そして今現在もたくさん書かないといけないものがあるのです*4。その意味で、完全に逃避でもあります*5

慶應義塾大学文学部で1年

ともかくも1年、大きな事故も起こさずにすごせました。
図書館・情報学専攻の教員・院生・学生のみなさんには感謝以外ありません。

比喩でなく、右も左もわからない状況で、いろいろ至らない発言ばかりしてますのに、みなさんに温かく?見守っていただいてます。
嬉しくて、たまにあの長い暗い廊下をスキップしたくなったりしてますが、まだ抑えてます。

もっとも、図書館情報学のど真ん中は、僕にとってはある意味新しい世界で、その厚みにいろいろ苦闘しているところがあります。ただ、周囲の環境や慶應の図書館のすごみも相まって、情報がある意味自然に入ってきてます。

さらに、いくつかフィールドらしきものを持てるようになって、いろいろご迷惑おかけしながらですが、考える梃子を獲得しつつあります。

つまりは、考える素材は圧倒的に手に入ってきてます。あとは料理の腕ですね。
それを対象の地域にも、図書館情報学にも、さらに博物館学アーカイブズ、もちろんデジタルアーカイブにもお返ししていきたい。

一方、もともとの出自の分野では*6、この1年は本当にその体質と考え方にげんなりした面があります。

もうちょっと真面目に物事を考えないと、本当に分野が消滅しても、誰にも惜しまれない可能性さえある、という一種の焦りがあります。もっとも変革の契機はいろんなところにあります。可能性は感じるので、もう少し粘ってみるつもりでおります。

大学入学から30年

そして、先週ぐらいに気がついたのですが、なんと今年で大学入学から30年となりました。僕の場合、学士・修士・博士が別々の大学なので、指導教員も3名いますが、みなさんもちろん退職されました。というか、一番年長である修士の指導教員だった井口和起さんが、昨日ようやく福知山大学学長を退任されたので、本当にみなさん一応ご退職、ということに。

また、講義を受けた方々もほとんどがご退職されています。これも2月に気がついたのですが、受講した当時は留学先から戻られたばかりでぴちぴちの若手だったポーランド史の小山哲さんが60を越えてたのにひきました。

退職と年齢の話をしたのは、もちろん自分自身の先のことを流石に考えるようになってきたからです。周りでバタバタ病気になっている人が増えてきましたし、僕もいつまでも若いつもりですが、明らかに無理は利きません。

そして、学部・修士・博士、その後の友人たちは、それぞれステージを異にしながらも奮闘しています。これは刺激を受けつつ見習いたいところ。

これからどうしていくか

かと言っても、生物として先が見えて来てます。
しかし、まだ心も関心もふらふらしています。
いまのポジションも有期ですし。

ただ、以下のエントリーに書いたように、およそ文化資本を欠いた出自を持つ者としては、社会の平準化のため、みなが可能性を保持し続けられるための装置として、図書館・博物館などの社会施設とデジタルアーカイブについてしつこく考えて行きます。

archivistkyoto.hatenablog.com


そのなかで、自ずと発想もポジションが変化していくでしょう。
あまり自身のことには戦略的になれないので、次々ころがってくる機会を捕まえつつ、偶然の先に何かを獲得できれば。


そして、なによりも、〈正しいこと〉を持ち場でも、持ち場を越えても主張して行くしかないんだとより確信を深めてます。出来ることってそれぐらいでしょう。

 

で、その〈正しいこと〉が正しいことと確信を持てるように、日々省察を繰り返すのでしょう。労働的に物事を処理せず、活動を主にする存在となるために。

おそらく1年後になるであろう、次の記事の時には、どういうことになっていますか。本人はまったくわかってません。
乞うご期待、であります。

 

 

*1:こちらの所属です 

図書館・情報学専攻:[慶應義塾大学文学部]

*2:こっちは本日設置の講座に移る形です 

東京大学「講談社・メディアドゥ 新しい本」寄付講座設置のお知らせ | 株式会社メディアドゥ

*3:今気がつきましたが、慶應義塾大学の今年度の辞令をまだもらってない気がする。有期なので今年も辞令があるはず。もっともIDが活きてて施設への出入りも自由ならば、なくてもいい気もします

*4:さっき大ものの校正が来おった…

*5:実際に、なにやら慣れないエントリーと並行して、いったり来たりしながらこれを書いてます

*6:いや、研究者や専門職のいろんな世界で、かもしれません

心機一転のご挨拶2021

この度、2年間、特任准教授としてお世話になった、

東京大学情報学環から、


慶應義塾大学 文学部 人文社会学

図書館・情報学系 図書館・情報学専攻 准教授(有期)

に転籍することになりました*1

 

東京大学でのポジションが、寄付講座の年限の関係で当初から2021年10月いっぱいと決まっていたため、みなさんにご心配いただいてました。今回、ご縁あって、早期にではありますが、転籍することになったものです。

もっとも、前所属のみなさまのご厚意で、

東京大学情報学環客員准教授としていただいております*2

 

慶應義塾大学では、全学対応の情報教育の初級・中級段階とリテラシー教育・デジタルアーカイブ論の一部を担当します。また、もちろん、図書館・情報学専攻の活動に参加することになります。

なお、同志社大学専修大学和歌山大学東京大学京都工芸繊維大学に、デジタルアーカイブや博物館情報・メディア論、歴史学を出講することになっております。

 

図書館情報学の本山みたいなところに、図書館のことがまったくわかってない僕が行ってどうするのか、という不安が、僕にも、恐らくみなさんにもあると思います*3

期待されているのは、図書館どまんなかのことではなく、情報教育をしっかり行いながら、デジタルアーカイブやMLA連携の立場からいろいろ考えてみろ、ということだと捉えて、これまでの延長線上で、また大胆に柔軟に議論を組み立てていければと存じます。



なお、2年前、地方公務員から大学教員に転職した際に、以下のようなエントリーを書いてました。

archivistkyoto.hatenablog.com


そのなかで、概ね以下のようなことを目標としていました。

・広い意味でのアーカイブズを、デジタルや制度からのアプローチで考えていく

・長尾構想を僕たちの世代で受け継いでいく

・ダメそうなアイデアを恐れず出す

・その場のにぎやかし要員

・関西への積極出没


この1年、コロナ禍でかなり思うに任せず、僕の状況も万全とはいえず、という状態で、なかなか構想してたように仕事を組み立てられてませんでした。
ただ、2018年秋ぐらいから考えていたことが、「図書館機能の再定置」という形で少しずつなにか形が出来てきたように存じます。

この発想を大事にして、めげずに頑張ってまいりたく。


なおなお、御大のおひとりに報告した時に、「いよいよ中央の人ですね」などとお言葉いただきましたが、ますます「関西の野党的気分のなかで自己形成してきた自覚」を忘れないように活動したいと考えます。

有期教員ですので、まだ関西に自宅を置いてます。その上で、従来からの文京区西片の下宿と往復する生活になります*4


ですので、関西の方々、お見忘れなきように。



まずは、取り急ぎのご報告までで。

みなさんには、本当にご指導ご鞭撻を伏してお願いするところです。

また、リアルにバーチャルにお目にかかります。

 

 

 

 

*1:以下、微修正の可能性ありながら、とりあえず上げておきます。朝早くに目が覚めてしまったけど、仕事進める感じでもなく、書き連ねてしまったのです

*2:吉見俊哉研究室での助言、プロジェクトの参与の委嘱をうけた、という形で、通知書には「称号を付与する」とありました

*3:決まってからの細々とした準備段階で、改めて痛感して慄いてます

*4:その意味で、よくぞ2年前にこの下宿を選んでた、と。三田の研究室までドア・ツー・ドアで45分、本郷の研究室まで10分ですから

フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2017)についてのメモ

前口上

そりゃ、本郷の住人になれば岩波ホールにも行ってみようと思うわけで、行く以上はこれを見るしかないとなり、映画の性質上、暗闇の中でもメモを取ることになり、そのままでは全く読めないので、整理してたら(しようと思って友人に話したら)ブログで出しとけ、ということになって、そのまま出してます*1

もいっこあるとすれば、3時間25分+休憩10分という長時間を使ったもとを取りたい、というのもあります*2

ということで、ネタバレ上等/でも1回見ただけの闇鍋メモなので、以降は、これから情報遮断で映画を見ようと思ってる人、NYPLの確実な情報が欲しいと思ってる人、には不向きです。

また、映画を構造的に見るとかしないし、ワイズマンのもわずかしか見てないし、このために改めて情報を集めるとかしてない*3ので、かなり見当はずれです。ということで突っ込み歓迎。もちろん作法通り「カチン」と反応する場合もあります。

なお、読んでいただく大前提として、日本の図書館関係者が全員読んでることになってる、以下を抑えている上でってことになってます*4

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

 

 

前提

上記の菅谷本のほかには、そりゃまあ以下などを。

moviola.jp

book.asahi.com

moviola.jp

この「『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』 公開記念パネルディスカッション ニューヨーク公共図書館と<図書館の未来>」という企画、会場におりました。で、メモもとったけど、このレポートで十分ですね。非常にヒントがあって、あとでも触れます。

なおなお、ちょっと見てるて、今の勤務先に関わる以下も発見。
この段階ではまったく外部者だったんですが、ちらちら動向は知ってて、そうね、この通りに行っててもよかったよね、というちょっとつらい気持ちになったところでした。

www.huffingtonpost.jp 

見る心得

体力と気力いります。あと座席は最前列でも全然大丈夫。なんなら端っこでも。なぜなら、非常に広い舞台の奥にスクリーンがあるから。なぜにと言うと、ここいらを参照。戦後のハイカルチャーの発信地でござい。

www.iwanami-hall.com


ということで、映画館じゃなくて戦後型文化ホールとすると、特段に静かに映画見ろ、という体になります。勢い、食事は禁止、開始後の入場も禁止。腹ごしらえして、時間に余裕を持って行きましょう*5

なお、パンフ購入は必須です。僕はよっぽどでないかぎり、図録とパンフは買う主義者、かつ今回は上記の4月のイベントでもらってたのですが、今回は図書館関係者には特に必須。絶対にあとで必要になります。あと、購入は開始前でも開始後でもよいけど、本当に映画の内容を頭に入れたいなら、開始前にパンフのストーリーの部分だけでもを読んどいた方が良いと思う。

では、メモ起こし。もちろん情報を最小限捕捉して、言葉は足してます。なおなお、以下で、S1とか書いてあるのは、パンフのストーリーの説明順と対応してます。

メモ起こし

S1 ドーキンスの講演。最初にこれ持ってくるのは科学の館の宣言だろうか。本館のエントランスですよね。これ。

S2 人定の質問が多い。そして、一瞬、利用者がスマホで資料撮影するところが印象的。

S3 さっそくの資金集めの活動場面。民間資金と公的資金の好循環を目指す。21世紀を生きるためのネットの重要性。その目標に民間寄付でなにが可能か、世界に見せよう。

S4 最初の分館の場面。画面は全員ボランティアという把握だけどよい?

S5  奴隷制に分析について研究者が語る。ちょっと極端な主張にも思うがそのまま流す。

S6  ホールのコンサート

S7  ブロンクスの就職WS。消防局ここにきて、楽な仕事もあるよ、とか言ってる。911の話もするのかもだけど、そこは切り取ってない。あと陸軍いた。建築とか起業とか、そのためのPC講座とか。まあ本気での展開。

S8   幹部会議。トレーラーに出てた象徴的なやつ。映画全体の基調にも連動する会議で、分館は教育施設に全振りする方針が議論されてる。

S9  ピクチャーライブラリの場面。学生に向かって、アーティストはみんな使ってきた、と。デジタルマイクロだー

S10  デリがユダヤ街のハブになるよという話

S11 ここでエルビス・コステロ登場。むっさサッチャーを攻撃中

S12 再び幹部会。社会の在り方を構想し、そのためのデジタルデバイドをなんとかしましょう、と熱くプレゼン。予算配分についての注釈的な意見はつくが、面白い。

S13 エントランスのコマンヤーカ。

S14 分館で、チャイニーズの中高年にPCの基礎的操作をレク。

S15+S16  点字の読み方のレクなど。市全体の施策の一部としてのと分館における障碍者対応が強調されているか?

S17  分館新築のためのスタッフ説明会。建築家が理念語る場面は僕もスタッフとして立ち会ったことがある。

S18  演奏会。

S20  読書会。

S24 みたび幹部会。社会の在り方を構想し、そのためのデジタルデバイドをなんとかしましょう、と熱くプレゼン。予算配分についての注釈的な意見はつくが、面白い。

S25 舞台芸術図書館での手話通訳者へのレク。感情をどう表すかでカジュアルに憲法登場。

S26  デジタル撮影の現場。これ内製かなあ。あと、返却本の振り分けの場面が非常に印象的。ものすごく粗い扱いで、非常に長いベルトコンベヤに振り分けて、バーコード読ませて、送るべき分館に自動で振り分けてる。本がコンテナのなかで、ページ開けて斜めになってる部分も映る。この粗さは、向こうを見てる友人によると普通、とのことだけど、マジに消耗品ですね。これ。

S27  分館の10代に如何に来てもらうか会議。本館から幹部が来てる。会話から実績出してる数学プラグラムの中心人物はボランティアだと思ったけど、どうかな?

S28  見た人に評判のモバイルルーター貸し出しの場面。しかし、実際は超アメリカの役所っぽくて、みんな狭いカウンター前で大行列してて、でも手続き担当は一人かつ、人あしらいもまあ粗い粗い(笑)。その点、S24の熱い幹部会議との対比になってるかも。

S29  おどる老人。

S30 分館の子供向けイノベーションラボ。単純なモジュールによるロボット操作。まあでも大騒ぎですよ。狭い空間を巧みに撮ってる。

S31 Schomburg Center for Research in Black Culture の90周年パーティ。キュレーター、アーキビスト、ライブラリアン、スタッフという謝辞があっって、デジタル化やって文化残すし発信するでってところに感じ入った。そうっすよね。

S32 子供の歌の次が、

S33 バーグコレクションをためつすがめつする研究者たち。

S34 幹部会。ホームレス対策。市民としての観点で、館長はまあそこは理想論を言う。普段は距離が遠いから気にならない、図書館は近くなるからみんな気にする。さすれば、普段の距離が、街の文化が課題では、と。

S35 版画コレクション。

S36  スタッフミーティング。中堅幹部?が、スタッフに行政ミーティングや地域コミュニティへの参加によって図書館の重要性を訴えて、とあおる。セクションや分館で普段は分断されているけど、同じ仕事、全体を見ろ!と。みんなの力で達成してきてる、もう少し、と。

S37  ナボコフのきわどいシーンをハンサムが甘い声で録音してる画面ながなが続き、切り替わって、車いすのスタッフが大量の録音テープに発注票を次々挟んでほおり投げてるシーン。テープの扱いが荒い粗い。シークエンスの中での対比。

S38  分館での専門的なレク。リンカーンとフィッツヒューが登場して話が展開。そしてマルクスの問題が軸になる。これ、大学の講義でも十分ですよね。すげー。

S39  ハロウィンのパレードが挟まったあと。ホールイベントでパティスミス。

S40 分館の修理についてまた熱く語る施設担当者。予算の限り直す。

S41
 幹部会。e-bookへの殺到が始まっている状況が描写される。そして社会的使命のためか、人気のためか、という資料選択の議論がここでも。社会的使命だろっと館長が言い切る。そうでないといけない。一方、子供用・教育用資料はS8の会議の方針に基づいて買うことに。

S42+
S43+S44 ボードの会議。準備から。NYPLにとって非常に重要であることが強調される構成。

S45
 ホールの講演。激賞されるマルコムX。会場からちょっと失笑もあった気がする。

S46 
 次の年に向けての幹部会議。政治的メッセージこそ重要、というごくまっとうな議論が。

S47
 分館のスタッフと住民の対話。教師が堂々と教科書批判をするという。マグロウヒル社のは許せんらしい。これはかじ取りが大変な状況だと思ったけど、本館からのスタッフ?はさすがにまとめてきてた。

S48
 ホールの対話。創作に対する心得がピックアップされて、映画の主張にも塚がっているかのような。そこからの映画のテーマ曲になってるコルドベルク変奏曲へのつなぎがかっこいい。

 

全体への注釈

以下は、全体を通じた気付きを、当日のメモから拾ってきて再構成したもの。こっちはもとのメモにかなり書き込んでる。

〇構成
研究図書館、幹部会議、講演会やコンサート、分館の状況、という4つのセクションが、交互に登場していく構成。
そして、上記のようになんとなくシーンごとにメモ取れたのには訳がある。シークエンスの切り替えに街の情景や館内の引きの絵が入る。だから変わるんだな、ってのがナレーションとかなくてもわかる。そしてそこで印象的なのは、本館で写真を撮る観光客がこれでもか、と出てくること。なんだろう、本館の象徴性なのか、なんなのか。まあ、この切り替えの場面が映画が長い原因でもあるんだけど、考えをまとめ、次に身構えるには良い長さかも。

〇音声
非常にクリアなのも特徴。見てると録音機材が会議テーブルのど真ん中にちらちらある。そうかといって、そして彼らが如何にはっきり話すといってもかな印象的。たぶん、これは意図的にいじっているんじゃなかろうか。すごく意味がある編集。

〇書架と書庫
書庫がまったく映らん。そして開架書架にもフォーカスしない。
これは非常に面白かった。ワイズマンはたぶん、本の在り方そのものはこの映画では描いてない。図書館をめぐる人と集まりと活動に絞ってる。
物理の資料が映るのって、利用シーンか(これは非常に多い)、貴重なものが丁寧に扱われてるか、モノ的に粗くスタッフが扱っているところだけ。

〇訳語
気になったのは2個。
political leader が単に〈政治家〉になってたのは気になる。ここで登場する語感だと〈有力者〉ぐらいでもよかったかも。
physical books? も〈紙の本〉なんだけど、物体が問題さ、って感じだったので、もう〈ものとしての本〉ぐらいでもよかったかも。なんか紙の本って日本語世界だと妙に神聖化されてて、理解が及ぶかどうか。
いや映画の翻訳が特段に難しいのは承知してますし、僕の英語力は0なのでなんともですが。

おわりに

ということで、多くのみなさんが気が付いていることもあるよね、と思いながら、重複を恐れずメモを起こしてみた。

その上で、何よりも留意したいは、撮影が2015年秋だったこと。
NYPLの最新の状況では決してないのです。これは、上記のイベントでウェルチ氏が強調されていたことろで、もうフィジカルかeかみたいな議論は終わってて、ともかく情報を最大限の手段で提供するのだと。一方で、トランプへの助走の状況ともいえるわけで。

普段はまったくしない、映画のメモなどを投げてみました。なんかの参考になればと。



ところで、あなたの理想の社会ってどんな社会ですか?




 

 

*1:あと前の勤務先のイベント支援の意味もある。僕は当日おりませんが、まあ担当者が奮闘してるので。

www.library.pref.kyoto.jp

*2:試写会のご案内もいただいていたんですが、行ってみたら満席で断念ということもあった復讐でもあるw。

*3:だって当日のメモの起こし中心だから。

*4:恥ずかしながら、僕は遅くて(そりゃその時は図書館関係者じゃないしね)、2012年2月の段階で読んでるようです。

なんか違う人宛になってるけどありがとう。助かる助かる RT @egamiday: …こういうことかな。http://t.co/i2uAGd1B: 未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書): 菅谷 明子: 本 http://t.co/pILE9s5x

— FUKUSIMA,Yukihiro (@archivist_kyoto) February 19, 2012
 

*5:チケットの一種の不便さもこの論理で多少は理解できるかと。単館系ってまあこのパターンが多いような気がしますが。

心機一転のご挨拶

わざわざこんなwebの辺境?までおいでいただく方の何割かはすでにご存じかもですが*1、この度、14年間籍をおいた京都府職員を無事に馘首になり、

東京大学大学院 情報学環 特任准教授

として着任しました*2


寄附講座での2年7ヶ月というごく短い任期ですが、せっかくの機会を活かすべく決断しました*3

こちらでは、DNP学術電子コンテンツ研究寄付講座に席をおきます。
職務的にはこの講座の活動のうち、「学術電子コンテンツ活用およびデジタルアーカイブ構築に関わる制度基盤整備」あたりを中心にやることになるのかと。

つまりは、広い意味でのアーカイブズを、デジタルや制度からのアプローチで考えていくことになります。そこには文化資源から考えるMLAの課題や人材の話なども絡んでくるでしょう。

また、「長尾構想を僕たちの世代で受け継いでいく」という、たまにいってる本音とも密接につながると思っています*4

非常に流動的な立場ですが、デジタルアーカイブを正面に捉えたポストとして業界的には貴重だという自覚があります。短期間でもしっかり成果を出して、社会的にも個人的にも次につなげられるよう、頑張りたいと存じます。

ただ、なにもかもに力足らずで、何かにつけみなさまに頼ってばかりになるのは目に見えています。ここまで読んだ諸賢にはもうあきらめていただいて、僕からのお願い事やダメそうなアイデアにしっかりお付き合いください。

また、必要に応じて是非お使い立てください。中身はなんともならんでも、その場にいればにぎやかしにだけはなることは、これまた諸賢がよくご存じだと思います。


そして、関西、特に京都でお世話になってる方々へ。

普段まったく言わないですが、関西と京都が僕にとってのホームフィールドだと思っています。

そう思って、この20年以上、僕は関西を中心に活動してきました。特に、京都は街角で偶然知人に出会える街。そして、出会ったときにすぐに大事な話が出来る街です*5。そういう京都が僕は好きです。そして関西の野党的気分のなかで自己形成してきた自覚があります。

任期との兼ね合いや、やり残したこともあり、この2年7ヶ月は生活拠点を東西に置いての往復生活になると存じます。つまり関西に積極的に出没したいです。お見捨てなきよう、是非いろいろとお申し付けください。 


まずは、ご報告まででした。

みなさんには、ますますのご鞭撻をお願いするところです。
また、各所でお目にかかります。



*1:というか、こんなに人事情報が事前に駄々洩れでよいのかと。いろいろ思惑あってではあるんですが…

*2:1日に東京におれず、いま辞令もらってきました。採用予定証明書は下宿を借りる関係もあって、早めにもらってましたが、退職願(手書き!)を早々出してたので、上記の駄々洩れのこともあってヒヤヒヤしました…

*3:任期は2021年10月31日までです。つまり東京オリンピックの狂騒を、そのど真ん中で体験することになるという…

*4:最近では文化勲章受賞祝賀会で、酔っぱらってた上に不意打ちで挨拶させられた時に、せっぱつまってご本人を目の前にして申しました。しかし長尾さんは覚えておられない気がするので命拾いしました

*5:その意味では大きな田舎だとは思います

僕のための宣言

段あまりこういう個人的なことは考えないし、考えてても誰にも言わない。だけど、12月半ばにちょっと思うことがあって、つらつらと書きつけてたのを、少し修正して投稿。
まあむりやりこじつければ、正月が誕生日で一年の宣言的なもの?がしやすい、というのと、節目の年齢を迎えた、というのと、実家でいろいろ感じ入ったことがあった、というのがある。
誰のタメにもならない話だけど、ひとつの個人史として。


には家産も家名も家職も、ついでに文化資本もない。
所有できてるのは、 本当にこの肉体と精神だけ*1


ともと僕の親族は、母方も父方も四国の山間を拠点としていた。
今もその多くが、本当の意味での限界集落に、その当事者として生活している。

両親が、教員・医者・公務員、あるいは、それなりの企業に勤めてる親族がいる、とかが今の僕の周りには多いのだけど、まったくそうではない。

親族それぞれと話をすると、みな個性豊かで賢明なのだが、ともかく本当に宮本常一が描いたような生活から出発して、いろいろ展開があって今に至っている。


こから街に出てきたベビーブーマーの両親は、肉体労働を伴う賃労働者(カラーの色は水色な感じ。小企業の、ザ・営業。)とパートの主婦という70年代のモデルのような夫婦。そして子供がうまれ、核家族を形成した。

本当に何も基盤なく、労働力のみを武器とし、わずかな資産を獲得しようと奮闘していた。
借家暮らしで*2、街の狭い範囲で18歳までに6箇所も引っ越しし(すごい)、最後にようやく一戸建を手に入れた*3

んな状況だから、家にある本は企業小説と歴史小説が少しばかり。自由に本を買うなんて、とてもじゃない、できない。今も残ってる数冊の子供向けの本は、よっぽど選んで買ってくれたのだと思う。中学生になっても、本は基本立ち読みするか、人から貰うか、借りるものだった時期が続く。

ただ、幼年期に本を読んでくれたし、買えないからこそ図書館を使う習慣はつけてくれた*4
あと、周囲の金銭的な負担や煩わしさが僕自身にはかからないように配慮してくれたおかげで、自分の始末だけを考えればよいように整えてくれた(これは今もそうかも)。

そして、多大な配慮と巧みな誘導で、地元ではその当時数校もなかった大学受験が可能な中高一貫校に行かせてくれた。
系統的に学習することが苦手で、興味あることしかできない僕のその時期の試験の成績は、それは手ひどいものだった。そして成績悪いのに関係ない本読んでる、という時点で、孤立してた。


の後、何とか地元から離れた別の地方の国立大学に潜り込み、そこで歴史学や資料の面白さに本格的に目覚めることになる。
良い教員や良い仲間に恵まれたおかげと、学生時代の途中にバブル崩壊の直撃を受けて、先をあまり考えず関西に出てきて、長い入院生活に突入する。

大学院に入れたのは、もちろん重点化の初期にあたってて、ともかくも頭数をかき集めていた時期だから。そして、院生たちもまだ楽天的に夢を描いていた。
そのあと悪戦苦闘が続き、20代後半にはかなり道に迷ってた。
明るく迷ってたけど、客観的に振り返ったらかなり恐ろしい状況だった。

30代はじめになって、縁があって、定期的に出勤し、しかも社会保障がある、という場を得た。それで、なんとか身を持ち崩すことなく踏みとどまった*5。それでも未だにいろいろグダグダなんだけど。

このあたりで一歩踏み外すと、僕も彼のように、廃止される研究室にこもって火を放ってたかもしれない。本当にそう思う*6

もかく僕は、両親が日本の深部から出てきたベビーブーマーの一典型であるように、ほんとの意味の地方都市*7から大都市に出てきた第2次ベビーブーマーのひとりなんだろう。文化資本がまったくないという点もかえって典型度が増すと思う。


う、第2次ベビーブーマー真っ只中。
つまり、有史以来の日本社会のなかで、同学年の人間が一番に多い世代。そしてロストジェネレーションの先頭。

今後、どの場所に行き、どの立場になろうとも、物事の縮小過程のあらゆる困難や軋轢に巻き込まれることが確定している。そして、少し長生きできたとしても、碌でもないことになることも見えている。

それでもなんとか通常の生活をできるだけの体力があることに感謝したい。そしてその上で、表面上はごく普通にふるまえてる上に(ですよね?)、ジェンダーは男性でもあるため、それなりのアドバンテージを得てることも知っている。


じゃあ、出来ることはなんだろう。

出自と世代という所与の条件の中で、そして今までの紆余曲折から得たわずかな力で、何が可能かを考えてる。

少しだけの利点があるとすれば、生活の場所も、社会的な環境も、そして職能も、望んだわけじゃないけど、変化し続けているということじゃないだろうか。悲しいことに、ほんとうに見えない世界がたくさんあるんだけど、僕にしか見えない世界がある気がする。
それを信じて、反転して、攻勢を企んでいきたい。

日常をこなしながら、小さな楽しみを見つけながら、友人たちと議論しながら。

*1:そりゃ、まだ権利の半分も得ていない狭い部屋と、そこに詰め込まれた紙束と、宵を越せないような現金と、いくばくかの積み立てがあるにはあるが、資産とは言いにくい。 

*2:今振り返るとネタにしかならないような間取りばかり。賃料安かったと思う。

*3:その直後、片親は見当識を失くすような病を数年間患った末に、僕が20代半ばの時に亡くなった。もっとも僕はその闘病の後半期は進学のため離れてて、同居や介護の本当の苦労は知らない。

*4:あ、本や図書館というのは、要するに、1970~90年代には時間軸も空間軸も異なる他の世界を知るためのツールとして、圧倒的に有効であったということだけです。地方都市のろくに旅行もできない家庭にはそれしかなかったわけです。映画やコンサートや演劇とかほぼ行った記憶ないし。

*5:超朝方にはこのとき変えました。遅刻怖いからね遅刻。最低限な自律からのスタートで、なんとも情けないけど。

*6:なお、奨学金は高校からドクターまで借りた。日本育英会(現:学生支援機構)と県の育英協会のを並行して借りたりしたので、最終的に1000万を超えた。大借金ではあるが、これがなければ教育を受けることは出来なかった。まあみなさんご指摘のように学生ローンにすぎないので返済しなければ、なのですが。ともかく緩めの審査で貸し付けてくれるのはありがたいこと。これは個人に選択肢を増やし、ひいては社会を活性化させる、もっとも有効な社会政策だと思うところです。

*7:新幹線沿線などという緩い地方都市じゃなくて。「陸の孤島」ですから、なにしろ。

現代思想2018年12月号 特集=図書館の未来 に関するメモ

はじめに

心覚えのメモ作ってたら、なんか「出しとこうか」という気になった。
なので、単にメモ並べたものになってる。
実は逆から読んでる。なぜ逆から読んだかはわかる人にはわかる。
そして、このメモでも意図的にオミットしてるものはあります。興味ないというか、その論じ方では意味がない
 

全体への註釈

個人的にはこのメンバーであっても無意識に/意識して「公立図書館=公共図書館」って言ってるのが気になる。概念の位相が違うよね。法にもそうはなってないよね。それこそ単なる慣習だよね
あと、みんなしてNYPLをひいてくるのが面白かった
この短時間でみんなよくやるなあ、というのが正直なところ。なんなんだろう…
 
 

岡本

p.9:初手に丸山もってくるのは、彼こそ戦後民主主義の子かもしれん、と思わされた。あ、自分で「伝統的」言うとるな

あと、理念的に振り切ってるとはいえ、「市民」をちょっとてこにしすぎとは思った。僕ならどういうかなあ。そりゃ大昔に「それは根拠のない「虚妄」ではない。われわれは京都の潜在力に日々驚かされているのだから」とは書いたが、ちょっと深度が違う気がした
 

猪谷・鎌倉

さすがに手広くいろんな事例がならぶ。今の図書館とその議論を知る手引きとして最適
ただちょっと食い足りなかった感じ。なんだろう「場として」段階にとどまるというか。ちょっと考える
 

嶋田

瀬戸内の周到な取り組みが広く知られることに意味がある
p.32:体験と消費の対比は、僕も同じ問題意識
p.36:ここいい「然らば、東京以外の地域は、東京という歪な偏在の上にる果実を甘んじて甘受するとともに、その影響を出来るだけ少なくしていく地域の取り組みを速やかに行うべきである。」
最後がすごく現代思想に寄せてる感。嶋田さんもとからそんな感じかもだけど
 

p.41:ジェントリフィケーションという観点で、「公共」圏の課題とCCCの戦略とを重ねたのは見事。そう、実は彼らとわれわれには密通関係があるのだ。その認識からスタートしましょう。
p.45:蔵書構築の苦労を出版内容の変化とあわせて語った最後に「図書館の外部でレイシャルハラスメントやヘイトスピーチに反対する市民的責務があることを確認しておきたい」は超重要。なんというか、どうしたの?という発言をする図書館員も実はたくさんいる
p.50:可能性はあるけど当事者も政策的にも毀損するんじゃないの。という〆。そのうえで住民の関与を求めるけど、さて、その投げ方は難しいな
 

高橋

ここまで全部が明るい話を読むと、僕の性格がいかにひねてるかわかってよいです。
なお、p.56「図書館は公共施設である」は認識を確認したい。閉じられた研究図書館やプライベートライブラリの存在をオミットするんだろうか? 
 

小川

「入り口としての図書館」は良いフレーズ。彼とはいずれ話をしてみたい
p.66:場としての図書館論とTSUTAYA図書館の関係の指摘から知的探求の話へつなぐのが良い感じ。そのうえで僕の構造では落ちてしまうマイノリティの話がアートを媒介に入るのがよい
 

鈴木

これは、映画を視なきゃと思わされる。そして図書館と政治、という、本来正面から論じられるべき課題に期せずして論及されている。p.72とか
 

川崎

お誕生会とか個別の話はすごく面白い。でも空間の話はどうしても物理の本と結びつくのか。公立にも移動図書館の話になってるし。最後のMWU電子図書館の話と懸隔がある気がする
 

大学なんだけどすごく物理の本展開でびっくりする。新施設のコンセプトがそうだからなんだろうけど。でもp.107の「本を保存する図書館と本を使う図書館のあいだには相反するものがあって」とあるのは良かった
 

中村

端的にまとめてるが、p.111でデータのオープン化に、p112でオープンサイエンスに言及しているのが重要。大学図書館がその場に、さまざまな形でなりうる、と
 

今井

p.119:アーカイブ機能への言及は非常に重要
p.120:あれね。プラスな書き方だけど、大きな状況で学校図書館を考えましょう、というメッセージがありますね
 

呑海

僕がすごく苦手な分野。改めて学ぶことばかり
p.134:認知症にやさしい、ということはすべての人にやさしい、という論点。アクセシビリティの話と共通する。それは当事者以外にとってもそう
 

鎌倉

311以降(本当は117以降であるべきだったけど)、あらゆる施設・機能で必要になった、事前の備えと、事後の活動の必然性の図書館バージョンとして読まれるべき
 

長尾

図書館の歴史、僕は近代以降で説いても良いと思ってるので、粘土板からやらんでも、とは思った。一般雑誌向けではあるが
p153:にも拘わらずメディアの変遷とサービスの変化、利用者層の拡大を適切にまとめるのはさすが。僕だと散らかる
p156-157:ここの個人的体験からの展開と図書館のアーカイブ機能(この単語は使ってないけど)への言及はすごくいい。ちょうど見開きだし授業で使える感じ。これで最低90分は話せる
 

高野

p.160:書架・トークン(本)・目次・本文とwebの対比、そして乱雑さの重要性の指摘はらしい感じ。そして連想検索と想へ展開
p.171:行論的に飛躍あるけど最後にデジタルアーカイブへの期待を書くのは流石。絶対に入れるべき/入ってるだろうと思って僕はそっちのネタを選択しなかった