archivist_kyoto の雑記帳

ネタを考えるための雑記帳です。 NO HUG NO LIFE

心機一転のご挨拶

わざわざこんなwebの辺境?までおいでいただく方の何割かはすでにご存じかもですが*1、この度、14年間籍をおいた京都府職員を無事に馘首になり、

東京大学大学院 情報学環 特任准教授

として着任しました*2


寄附講座での2年7ヶ月というごく短い任期ですが、せっかくの機会を活かすべく決断しました*3

こちらでは、DNP学術電子コンテンツ研究寄付講座に席をおきます。
職務的にはこの講座の活動のうち、「学術電子コンテンツ活用およびデジタルアーカイブ構築に関わる制度基盤整備」あたりを中心にやることになるのかと。

つまりは、広い意味でのアーカイブズを、デジタルや制度からのアプローチで考えていくことになります。そこには文化資源から考えるMLAの課題や人材の話なども絡んでくるでしょう。

また、「長尾構想を僕たちの世代で受け継いでいく」という、たまにいってる本音とも密接につながると思っています*4

非常に流動的な立場ですが、デジタルアーカイブを正面に捉えたポストとして業界的には貴重だという自覚があります。短期間でもしっかり成果を出して、社会的にも個人的にも次につなげられるよう、頑張りたいと存じます。

ただ、なにもかもに力足らずで、何かにつけみなさまに頼ってばかりになるのは目に見えています。ここまで読んだ諸賢にはもうあきらめていただいて、僕からのお願い事やダメそうなアイデアにしっかりお付き合いください。

また、必要に応じて是非お使い立てください。中身はなんともならんでも、その場にいればにぎやかしにだけはなることは、これまた諸賢がよくご存じだと思います。


そして、関西、特に京都でお世話になってる方々へ。

普段まったく言わないですが、関西と京都が僕にとってのホームフィールドだと思っています。

そう思って、この20年以上、僕は関西を中心に活動してきました。特に、京都は街角で偶然知人に出会える街。そして、出会ったときにすぐに大事な話が出来る街です*5。そういう京都が僕は好きです。そして関西の野党的気分のなかで自己形成してきた自覚があります。

任期との兼ね合いや、やり残したこともあり、この2年7ヶ月は生活拠点を東西に置いての往復生活になると存じます。つまり関西に積極的に出没したいです。お見捨てなきよう、是非いろいろとお申し付けください。 


まずは、ご報告まででした。

みなさんには、ますますのご鞭撻をお願いするところです。
また、各所でお目にかかります。



*1:というか、こんなに人事情報が事前に駄々洩れでよいのかと。いろいろ思惑あってではあるんですが…

*2:1日に東京におれず、いま辞令もらってきました。採用予定証明書は下宿を借りる関係もあって、早めにもらってましたが、退職願(手書き!)を早々出してたので、上記の駄々洩れのこともあってヒヤヒヤしました…

*3:任期は2021年10月31日までです。つまり東京オリンピックの狂騒を、そのど真ん中で体験することになるという…

*4:最近では文化勲章受賞祝賀会で、酔っぱらってた上に不意打ちで挨拶させられた時に、せっぱつまってご本人を目の前にして申しました。しかし長尾さんは覚えておられない気がするので命拾いしました

*5:その意味では大きな田舎だとは思います

僕のための宣言

段あまりこういう個人的なことは考えないし、考えてても誰にも言わない。だけど、12月半ばにちょっと思うことがあって、つらつらと書きつけてたのを、少し修正して投稿。
まあむりやりこじつければ、正月が誕生日で一年の宣言的なもの?がしやすい、というのと、節目の年齢を迎えた、というのと、実家でいろいろ感じ入ったことがあった、というのがある。
誰のタメにもならない話だけど、ひとつの個人史として。


には家産も家名も家職も、ついでに文化資本もない。
所有できてるのは、 本当にこの肉体と精神だけ*1


ともと僕の親族は、母方も父方も四国の山間を拠点としていた。
今もその多くが、本当の意味での限界集落に、その当事者として生活している。

両親が、教員・医者・公務員、あるいは、それなりの企業に勤めてる親族がいる、とかが今の僕の周りには多いのだけど、まったくそうではない。

親族それぞれと話をすると、みな個性豊かで賢明なのだが、ともかく本当に宮本常一が描いたような生活から出発して、いろいろ展開があって今に至っている。


こから街に出てきたベビーブーマーの両親は、肉体労働を伴う賃労働者(カラーの色は水色な感じ。小企業の、ザ・営業。)とパートの主婦という70年代のモデルのような夫婦。そして子供がうまれ、核家族を形成した。

本当に何も基盤なく、労働力のみを武器とし、わずかな資産を獲得しようと奮闘していた。
借家暮らしで*2、街の狭い範囲で18歳までに6箇所も引っ越しし(すごい)、最後にようやく一戸建を手に入れた*3

んな状況だから、家にある本は企業小説と歴史小説が少しばかり。自由に本を買うなんて、とてもじゃない、できない。今も残ってる数冊の子供向けの本は、よっぽど選んで買ってくれたのだと思う。中学生になっても、本は基本立ち読みするか、人から貰うか、借りるものだった時期が続く。

ただ、幼年期に本を読んでくれたし、買えないからこそ図書館を使う習慣はつけてくれた*4
あと、周囲の金銭的な負担や煩わしさが僕自身にはかからないように配慮してくれたおかげで、自分の始末だけを考えればよいように整えてくれた(これは今もそうかも)。

そして、多大な配慮と巧みな誘導で、地元ではその当時数校もなかった大学受験が可能な中高一貫校に行かせてくれた。
系統的に学習することが苦手で、興味あることしかできない僕のその時期の試験の成績は、それは手ひどいものだった。そして成績悪いのに関係ない本読んでる、という時点で、孤立してた。


の後、何とか地元から離れた別の地方の国立大学に潜り込み、そこで歴史学や資料の面白さに本格的に目覚めることになる。
良い教員や良い仲間に恵まれたおかげと、学生時代の途中にバブル崩壊の直撃を受けて、先をあまり考えず関西に出てきて、長い入院生活に突入する。

大学院に入れたのは、もちろん重点化の初期にあたってて、ともかくも頭数をかき集めていた時期だから。そして、院生たちもまだ楽天的に夢を描いていた。
そのあと悪戦苦闘が続き、20代後半にはかなり道に迷ってた。
明るく迷ってたけど、客観的に振り返ったらかなり恐ろしい状況だった。

30代はじめになって、縁があって、定期的に出勤し、しかも社会保障がある、という場を得た。それで、なんとか身を持ち崩すことなく踏みとどまった*5。それでも未だにいろいろグダグダなんだけど。

このあたりで一歩踏み外すと、僕も彼のように、廃止される研究室にこもって火を放ってたかもしれない。本当にそう思う*6

もかく僕は、両親が日本の深部から出てきたベビーブーマーの一典型であるように、ほんとの意味の地方都市*7から大都市に出てきた第2次ベビーブーマーのひとりなんだろう。文化資本がまったくないという点もかえって典型度が増すと思う。


う、第2次ベビーブーマー真っ只中。
つまり、有史以来の日本社会のなかで、同学年の人間が一番に多い世代。そしてロストジェネレーションの先頭。

今後、どの場所に行き、どの立場になろうとも、物事の縮小過程のあらゆる困難や軋轢に巻き込まれることが確定している。そして、少し長生きできたとしても、碌でもないことになることも見えている。

それでもなんとか通常の生活をできるだけの体力があることに感謝したい。そしてその上で、表面上はごく普通にふるまえてる上に(ですよね?)、ジェンダーは男性でもあるため、それなりのアドバンテージを得てることも知っている。


じゃあ、出来ることはなんだろう。

出自と世代という所与の条件の中で、そして今までの紆余曲折から得たわずかな力で、何が可能かを考えてる。

少しだけの利点があるとすれば、生活の場所も、社会的な環境も、そして職能も、望んだわけじゃないけど、変化し続けているということじゃないだろうか。悲しいことに、ほんとうに見えない世界がたくさんあるんだけど、僕にしか見えない世界がある気がする。
それを信じて、反転して、攻勢を企んでいきたい。

日常をこなしながら、小さな楽しみを見つけながら、友人たちと議論しながら。

*1:そりゃ、まだ権利の半分も得ていない狭い部屋と、そこに詰め込まれた紙束と、宵を越せないような現金と、いくばくかの積み立てがあるにはあるが、資産とは言いにくい。 

*2:今振り返るとネタにしかならないような間取りばかり。賃料安かったと思う。

*3:その直後、片親は見当識を失くすような病を数年間患った末に、僕が20代半ばの時に亡くなった。もっとも僕はその闘病の後半期は進学のため離れてて、同居や介護の本当の苦労は知らない。

*4:あ、本や図書館というのは、要するに、1970~90年代には時間軸も空間軸も異なる他の世界を知るためのツールとして、圧倒的に有効であったということだけです。地方都市のろくに旅行もできない家庭にはそれしかなかったわけです。映画やコンサートや演劇とかほぼ行った記憶ないし。

*5:超朝方にはこのとき変えました。遅刻怖いからね遅刻。最低限な自律からのスタートで、なんとも情けないけど。

*6:なお、奨学金は高校からドクターまで借りた。日本育英会(現:学生支援機構)と県の育英協会のを並行して借りたりしたので、最終的に1000万を超えた。大借金ではあるが、これがなければ教育を受けることは出来なかった。まあみなさんご指摘のように学生ローンにすぎないので返済しなければ、なのですが。ともかく緩めの審査で貸し付けてくれるのはありがたいこと。これは個人に選択肢を増やし、ひいては社会を活性化させる、もっとも有効な社会政策だと思うところです。

*7:新幹線沿線などという緩い地方都市じゃなくて。「陸の孤島」ですから、なにしろ。

現代思想2018年12月号 特集=図書館の未来 に関するメモ

はじめに

心覚えのメモ作ってたら、なんか「出しとこうか」という気になった。
なので、単にメモ並べたものになってる。
実は逆から読んでる。なぜ逆から読んだかはわかる人にはわかる。
そして、このメモでも意図的にオミットしてるものはあります。興味ないというか、その論じ方では意味がない
 

全体への註釈

個人的にはこのメンバーであっても無意識に/意識して「公立図書館=公共図書館」って言ってるのが気になる。概念の位相が違うよね。法にもそうはなってないよね。それこそ単なる慣習だよね
あと、みんなしてNYPLをひいてくるのが面白かった
この短時間でみんなよくやるなあ、というのが正直なところ。なんなんだろう…
 
 

岡本

p.9:初手に丸山もってくるのは、彼こそ戦後民主主義の子かもしれん、と思わされた。あ、自分で「伝統的」言うとるな

あと、理念的に振り切ってるとはいえ、「市民」をちょっとてこにしすぎとは思った。僕ならどういうかなあ。そりゃ大昔に「それは根拠のない「虚妄」ではない。われわれは京都の潜在力に日々驚かされているのだから」とは書いたが、ちょっと深度が違う気がした
 

猪谷・鎌倉

さすがに手広くいろんな事例がならぶ。今の図書館とその議論を知る手引きとして最適
ただちょっと食い足りなかった感じ。なんだろう「場として」段階にとどまるというか。ちょっと考える
 

嶋田

瀬戸内の周到な取り組みが広く知られることに意味がある
p.32:体験と消費の対比は、僕も同じ問題意識
p.36:ここいい「然らば、東京以外の地域は、東京という歪な偏在の上にる果実を甘んじて甘受するとともに、その影響を出来るだけ少なくしていく地域の取り組みを速やかに行うべきである。」
最後がすごく現代思想に寄せてる感。嶋田さんもとからそんな感じかもだけど
 

p.41:ジェントリフィケーションという観点で、「公共」圏の課題とCCCの戦略とを重ねたのは見事。そう、実は彼らとわれわれには密通関係があるのだ。その認識からスタートしましょう。
p.45:蔵書構築の苦労を出版内容の変化とあわせて語った最後に「図書館の外部でレイシャルハラスメントやヘイトスピーチに反対する市民的責務があることを確認しておきたい」は超重要。なんというか、どうしたの?という発言をする図書館員も実はたくさんいる
p.50:可能性はあるけど当事者も政策的にも毀損するんじゃないの。という〆。そのうえで住民の関与を求めるけど、さて、その投げ方は難しいな
 

高橋

ここまで全部が明るい話を読むと、僕の性格がいかにひねてるかわかってよいです。
なお、p.56「図書館は公共施設である」は認識を確認したい。閉じられた研究図書館やプライベートライブラリの存在をオミットするんだろうか? 
 

小川

「入り口としての図書館」は良いフレーズ。彼とはいずれ話をしてみたい
p.66:場としての図書館論とTSUTAYA図書館の関係の指摘から知的探求の話へつなぐのが良い感じ。そのうえで僕の構造では落ちてしまうマイノリティの話がアートを媒介に入るのがよい
 

鈴木

これは、映画を視なきゃと思わされる。そして図書館と政治、という、本来正面から論じられるべき課題に期せずして論及されている。p.72とか
 

川崎

お誕生会とか個別の話はすごく面白い。でも空間の話はどうしても物理の本と結びつくのか。公立にも移動図書館の話になってるし。最後のMWU電子図書館の話と懸隔がある気がする
 

大学なんだけどすごく物理の本展開でびっくりする。新施設のコンセプトがそうだからなんだろうけど。でもp.107の「本を保存する図書館と本を使う図書館のあいだには相反するものがあって」とあるのは良かった
 

中村

端的にまとめてるが、p.111でデータのオープン化に、p112でオープンサイエンスに言及しているのが重要。大学図書館がその場に、さまざまな形でなりうる、と
 

今井

p.119:アーカイブ機能への言及は非常に重要
p.120:あれね。プラスな書き方だけど、大きな状況で学校図書館を考えましょう、というメッセージがありますね
 

呑海

僕がすごく苦手な分野。改めて学ぶことばかり
p.134:認知症にやさしい、ということはすべての人にやさしい、という論点。アクセシビリティの話と共通する。それは当事者以外にとってもそう
 

鎌倉

311以降(本当は117以降であるべきだったけど)、あらゆる施設・機能で必要になった、事前の備えと、事後の活動の必然性の図書館バージョンとして読まれるべき
 

長尾

図書館の歴史、僕は近代以降で説いても良いと思ってるので、粘土板からやらんでも、とは思った。一般雑誌向けではあるが
p153:にも拘わらずメディアの変遷とサービスの変化、利用者層の拡大を適切にまとめるのはさすが。僕だと散らかる
p156-157:ここの個人的体験からの展開と図書館のアーカイブ機能(この単語は使ってないけど)への言及はすごくいい。ちょうど見開きだし授業で使える感じ。これで最低90分は話せる
 

高野

p.160:書架・トークン(本)・目次・本文とwebの対比、そして乱雑さの重要性の指摘はらしい感じ。そして連想検索と想へ展開
p.171:行論的に飛躍あるけど最後にデジタルアーカイブへの期待を書くのは流石。絶対に入れるべき/入ってるだろうと思って僕はそっちのネタを選択しなかった
 

街歩き事業への京都市明細図の活用について

www.arc.ritsumei.ac.jp

で、通訳をお願いして30分ほどでしゃべるための原稿。せっかくなので上げときます。
スライド公開されたらリンク張るです(思い出して貼った)。

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街歩き事業への京都市明細図の活用について
“The utilization of Kyoto city maps (Kyoto-shi Meisai-zu) for walk-around project”

【導入】

 ディスカッションの前の、本日の最後の報告になりました。みなさん、充実したプレゼンテーションを沢山聞かれて、気持ちも高ぶっていると思いますし、また、お疲れだとも思います。ですので、この報告は気楽に、クールダウンのために聞いていただければと思います。地図資料と街歩きの幸運な出会いの物語です。

 

【本日の主題】

私がお話しするのは、デジタライゼーションされた地図が、みなさんがまさにいらっしゃっているこの都市、京都の街歩きに十分に活用されている、という事例報告になります。本日のテーマに引き付ければ、地図がweb公開されたあとの活用事例の紹介となります。

この京都は魅力的な街ですが、魅力的であるからこそ、観光に訪れる人々のみならず、住まっている人々、深く関係している人々でも、一面的なイメージを持ちがちです。

大きな寺院や神社、伝統工芸や茶道などに代表される日本独特の古くからの生活様式を良く残している、などが、日本の古都、伝統的な日本の象徴である「京都」の主要なイメージでしょう。

だが、実際に150万の人々が生活している現代都市京都は、まさに本日取り上げる京都市明細図が成立した1920年代から1950年代に、その基盤が形成されました。

その意味で、京都市明細図は「ありきたりの京都」ではない、まさに現代都市である京都を、生活に寄り添って歩くのにふさわしい素材なのです。

 

京都市明細図とは】

さて、京都市明細図とはどのようなものでしょうか?

1927年に大日本聯合火災保険協会という保険会社の組合が、保険料率の計算のために作成したものです。この時期から世界中の都市で作成された火災保険図(fire insurance map)の一種になります。作成時の京都市域を286区域に分割して作成されています。一枚の縮尺は1200分の1で、その大きさは、ほぼ38cm×54cmです。

現在、この京都市明細図は3セット確認されています。本日おいでの京都府アーカイブである京都学・歴彩館が所蔵しているもの、京都の古くて大きな住宅である長谷川家が所蔵しているもの、こちらも本日おいでで京都市アーカイブである京都市歴史資料館が所蔵しているもの、の3セットです。このうち、京都学・歴彩館と長谷川家のものはデジタル化されて、「近代京都オーバーレイマップ」に搭載されています。

 本日特に取り上げるのは、京都学・歴彩館のものです。以前の施設名称で、京都府立総合資料館版とも呼ばれています。なぜこれに注目するのか。京都学・歴彩館を先ほど京都府アーカイブと申しました。この版には京都府の担当者が都市政策のために利用したと思われる痕跡があるのです。

そのほとんどは、第二次世界大戦後、日本がまだ占領下にあった1950~1951年に集中していると考えられます。少し、実際に確認してみましょう。

 この、赤は商業施設です。緑は住宅。茶色は学校などの公共施設、黄色は寺院や神社などの宗教施設。このように手書きではありますが非常にビジュアルです。さらに商業施設などについては書き込みがあります。また建物の階数もこのように1、2などの数字で書き込まれています。

 また、この1950年1951年というのは、現代京都の起点になった時期です。

日本の主要都市は1945年3月以降、空襲でほぼ壊滅しましたが、大規模軍事拠点であった広島が1945年8月6日までほぼ無傷であったように、京都はアメリカの原子爆弾の標的とされていたために、第二次世界大戦中、大きな爆撃は受けませんでした。しかし、1944年以降、来るべき空襲に備え、延焼を防ぐために建物を取り壊していました。最終的に2万戸が取り壊されることになります。戦後、これらの跡地をどうするか、そして、軍隊という非常に大きな社会装置を失った日本がどのように再建をしていくか、という意味で、この時期は現代都市京都の基盤が作られた時期なのです。

 これらの跡地は、現在も使われている大きな幹線道路や公園になりますが、この書き込みがあった時期は、まさにその検討時期にあたります。

なお、われわれが今いるのは西の端のここですね。当時は畑ばかりだったようです。

 

【まいまい京都とは】

さて、ここから報告のもうひとつの要素、街歩きのプロジェクトについて説明します。京都での街歩きのプロジェクト、行政や旅行会社が行っているものは沢山ありますが、最大のものは民間団体が行っている「まいまい京都」というプロジェクトです。

「まいまい」とは「うろうろする」という意味の京都の言葉です。15人程度の小規模で京都のなかの狭い地域を2時間から3時間程度で歩きます。

2011年3月に開始され、2017年12月までで、2,559回、41,806人が参加した、という実績を持っています。そしてガイドとなったのは346人となります。当初は京都の街の住人がガイドをするというのがコンセプトでしたが、2012年・2013年ぐらいから研究者の参加が増えました。今日のこのワークショップの参加者にもガイド経験者や参加者がいるかもしれません。

コースの内容は非常に多様です。街の方が案内する地域の暮らしや風習を対象にしたもの、わずかな土地の高さ低さにこだわったもの、建物や土木建築にこだわったもの、などです。共通しているのは、どのコースでも地図は重要な要素になっていることです。なにしろ空間を移動するわけですから。

参加者層で興味深い点が2つあります。ひとつは、30パーセントほどの登録者が、東京などわざわざ京都に旅行しないと参加できない地域の方で占められていることです。実際にお話しを聞く機会がありましたが、本当にわざわざ京都においでになって、このツアーに、2日で4コース参加される方などがいらっしゃいます。また、70パーセントほどの方が、ひとりで参加されています。家族や知人と一緒に楽しむことに主眼があるというよりは、街を歩くこと自体を目的とされているのです。この2点から、最初に述べた「ありきたりの京都」に飽きてしまって、京都をより深く、多面的に知りたい人々が参加者層となっていることがわかります。

 

【スピーカーの経験】

私はこの「まいまい京都」に2012年10月から、ガイドとして13回参加し、この3月にも2回ガイドする予定です。実をいうとこの報告の準備のために数えなおしてみて、「こんなにやってるのか」、とびっくりしました。そのほとんどが京都市明細図を全面的に活用したものです。

先ほどご説明した京都市明細図は2010年秋に私が担当して公開し、2011年春には立命館大学地理学研究室によってデジタル化を行いました。それから1年ぐらいたって、ガイドの依頼があったということになります。

 私のコースは、「京都市明細図」を知ってもらうため、ということに主眼を置いたものです。今は「【京都市明細図】研究者と巡る、京都市明細図に描かれた占領下の京都~あのファッションビルが米軍司令部!繁華街に残る闇市のなごり~」というコース名になっています。

 例えば、このコースは、京都の街の繁華街のど真ん中を歩くコースにしています。四条烏丸という京都の中心を起点に北東に歩いていきます。占領軍司令部跡、占領軍が作った図書館、証券街の跡、戦争中に建物を撤去したあとにできた公園、昭和初期に建てられた小学校、戦後に闇市となった通り、そして最後は市役所です。参加者には最低限の解説をつけた京都市明細図のコピーを配り、またタブレットなどでデジタル画像も見せ参加者も自らのデバイスでデジタル画像を参照しつつ、私がポイントポイントを説明し、2時間程度で歩きます。最終的には、京都市明細図の性格とその魅力を知っていただく、というのを目標にしています。

このコースに限りませんが、この街歩きプロジェクトは、ガイド側に地図の読みを深めることを求めます。先ほど、「証券街の跡」と言いました。現在は大きなデパートがあり、その周辺に飲食店がならんでいる四条烏丸の北東部は、20世紀初頭から後半まで、京都における証券取引の中心地でした。一般的な知識として、この区域がそのような性格をもっていたことは知っていましたが、当初、2012年から2014年ぐらいまで、ここの説明はごく簡単に行っていました。この説明に私自身、納得がいっていませんでした。京都市明細図を見せながらでも、「昔はここは証券街だったのですよ」という平板なものになっていると感じていたからです。そして、参加者からのアンケートで、ここの場面に触れたものはありませんでした。

しかし、2015年のコースを準備する段階で、普段は人が通らない、少し入り込んだデパートのトラックヤードの前に「京はま稲荷」という小さな神社があることに気が付いたとき、ストーリーを大きく展開することができました。

「稲荷」とは、いまや世界的な観光名所になった「伏見稲荷」と同様に、商業に関係する神とされています。そして「京」は京都の京、「はま」は大阪で証券取引をする場所が「北浜」と言っていたことから来ています。つまり「京都の証券取引関係者がその商業的成功を祈る場所」という意味です。実際に現在もこの神社はそのような方々によって、証券会社の多くが京都を離れたあとも守られています。

この「京はま稲荷」をコースに組み込み説明を施すことで、流れの中で周辺の小規模な証券会社に貸し出すために建てられ、今は別の用途に使われている建築や、いまも残る証券ビルを説明することができるようになりました。そして、地域のイメージも重層的に提示することができるようになりました。そして参加者からのこの部分への反応も、確かに多くなりました。証券街から飲食街へ、という変化、そしてその中に象徴的な痕跡が残っている、というのが心に残るようです。

 また、「ありきたりの京都」に飽きてしまっている方々が多いので、参加者からのフィードバックも非常に高度で貴重です。質問を受けて、次回の説明に活かすということは幾度となくありました。

この京都市明細図、他のガイドたちも活用しています。デジタル化してwebで公開しているうえに、クリエイティブコモンズライセンスを適用し、CC BYを宣言しているため、自由に利用いただいています。例えば、こちらなどはかなり自由に改変して使っている事例です。

 

【まとめ】

 この京都市明細図、作成から70年たち、もう古地図の一種といえるでしょう。今回報告した街歩きへの活用以外にも、都市計画研究、近代建築研究、花街研究などにひろく活用され、いまや、京都研究の基礎資料となっています。

街歩きと地図の幸運な出会いの物語は以上です。今後もその出会いは広く深くなっていくでしょう。ご清聴、ありがとうございました。

第19回 #図書館総合展 のメモ(身辺雑記的に)

図書館総合展とは

 
図書館総合展は、毎年11月初旬に横浜で開催される、図書館と関連施設や関連機能にかかわる、見本市+フォーラムです。
例年、3日間の開催でのべ3万人が参加するという一種の祝祭であります。
関係者ではよく言われますが、コミケみたいなものらしい(古本市とは違うのか?(コミケ未経験者))。
 
詳しくはこっち。
 しつこく毎年の記録をつけてるブログはこっち。
 僕みたいな、業界どまんなかじゃない、遠い目の関係者が参加してもだいたいこういう感想になる。
 

 

 
で、ありがたいことに、この数年、どこかのフォーラムには呼んでいただけるので、いろいろ無理して日程を調整してでも参加する動機を得られております。
 
 

フォーラム登壇

 
ところが、今年は、3フォーラム、それも全部違うネタでしゃべれ、という、どう考えてもあまりまともじゃない状況に追い込まれました。
流れに任せて「面白いですね」とか「こういう考え方ありますね」とかやってて、気が付いたらこういうことになったという。
 
1個目(11月8日(2日目) 1コマ目)

www.libraryfair.jp

報告資料なぞはこっちのなかに
 
2016年の総合展で着手宣言して、進めているプロジェクトの一つ。
 
僕としては、図書館の基盤たるべき、情報資源の管理が実は悲惨なことになっているのをちょっとでも改善しましょう、せめてそういうマインドを、図書館員含め文化資源にかかわる人間は持ちましょう、という思いで参加しているもの。
場とか、支援とか、イベントとかは、基盤を考え抜いて出てくるもの。そうじゃなかったらそれぞれの方面のプロはほかにいるので、その劣化版をコップの中でやってるに過ぎないわけで。
 
上記の思いはともかく、今年はフォーラムのタイトルをつけて、それでお役御免かと思ってたら結局しゃべることになってました(ほんまに自覚なかった)。
まだ成果がまとまった状況ではない進行報告のフォーラムなので、大枠は去年のフォーラムとあまり違わないのですが、こちらに変な気負いがない分、少しく問題に切り込めはじめたんじゃないかと。
 
参加いただいた方の感想をみつけたので。

 2個目(11月9日(3日目) 1コマ目)

www.libraryfair.jp

報告資料はこっち(あとで全体の補足予定)

researchmap.jp

 

これはネタ的に一番悩んだもの。当日朝にようやくスライドを作りました。

 

2016年3月に公開した中期計画の担当なんですが、その時のドキュメントに、ついつい「知的な交流の場」という文言を書き込んでしまって以降、「知的」ってなんじゃ、ということを微妙に悩んでいた(多分ほかの人は悩んではない)。

で、今回ありがたいことに「知的生産」という観点から考え直す機会になりました。
事前のやりとりとスライド作成、そしてフォーラムでのやり取りで、ちょっと見えてきた。というか、壇上でひとり興奮してたっぽい。

いくつかあるけど、MLAの機能に引き付けると「他者から意識的に受け継ぎ、他者に意識的に受け渡す」というあたりがキーになりそう。


スライドには報告の狙い的に「みんなで不幸せに/幸せになろうよ」と書いてましたが、最後には僕だけが幸せになってしまった。
なんか申し訳ないけど、まったく反省はしてない。

 

3個目(11月9日(3日目) 3コマ目)

www.libraryfair.jp

報告資料はこっち(あとで全体の補足予定)
researchmap.jp

 

これはもうおひとりの報告者が事例報告に徹することはわかってたのと、こちらはこのネタではまだまだ事例というほどのものがないので、大きめの話に振ったもの。

 

今のディスカバリーサービスのシステムやメニューにこだわるものではないのですが、せっかくトライアル中ということもあるので、そこで見えてる課題(かといって、飯野さん@佛大がだいたい指摘したりクリアしたりしてる)について指摘した。

ただ、これは実は本質的にはベンダー側の課題じゃなくて、ユーザーである我々がなにもできてない結果じゃないですか、一緒にやりましょう、ってあたりを最後のスライドに込めたもの。

 

ちょっとフロアの反応は読めてない。

まずはコーディネーターに伝わればよいかなあ、と。


周辺ネタ3つ

 
声出し隊
 
吉例の渋田さんプロデュース大懇親会(8日夜開催)では、急遽、声出し隊を組織しました。
今回は会場の構造と人数の関係で、司会者(主に渋田さん)のアナウンスが特に通りにくかったために、周りの40代男子に声をかけて、無事結成となったものです。
 
誰かがマイクを握ると会場の各所からその背後に参集し、拍手し・コールをし、注目を集めるようにしました。まずは効果あったはず。
なお、最後のくじ引き大会では、当たった方をほめたたえる機能まで追加されました。
 
非体育会・非演劇・非追っかけで、普段物静かな僕としては、実はここでかなり体力と喉を使った気がします。

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徹子の部屋
 
登壇やその準備や声出し隊であんまりしんどいので、空き時間は最低限のミッションと挨拶まわりに終始しました。
本来は情報収集のためにも、がっつりの企業・団体ブースを順番に回るべきですが…
 
で、それでも疲れ果て、どっかのブースや中央にある休憩ゾーンで座り込んでいると、いろいろ見知った顔が通るので、次々声掛け、声掛けられして、徹子の部屋状態に。
 
これ、毎年の現象ではあるけど、これをうまく活かしたいなあ、と思わんでもない。
 
 
LoY2017
 
なお、上記の大懇親会で、改めての表彰式があったのですが、うしろの方でこそこそと、2~3人で、トロフィーなどの管理をしたりしてました。
特に授与後、「巻物をタケノコにする学芸員」とか言われながら、賞状を巻いて筒に入れたのは僕です。歪んでたらごめんなさい。
 
 

来年に向けて

 
いろいろ行きがかりがあって、来年はもうちょっと関りが深くなるかも。
最終日の最後の時間帯に有象無象が集まって立ち話したのが発端。
その時の名言としては、「大輪の花と養分」「蝿しかよってこない」「壁か肉体の壁」なぞがあります。これを具現化する。
 
なおなお、以下のようなことを言ったことになってるみたいなので、その声にもこたえる形で。

 

 

日本書籍出版協会文芸書小委員会の要望書についての極私的メモ

◯前口上

(これ、2016年11月26日にFBにエントリしたもの。本人がまったく覚えてなかった上に、例の文春さんの文庫本提案があっても大きな状況はあまり変わってない感じなので、こちらに転載してメモとしておきます)

 

〇考える対象
一般社団法人 日本書籍出版協会 文芸書小委員会発
公共図書館館長各位宛
公共図書館での文芸書の取り扱いについてのお願い」(2016年11月22日)
http://toshokanron.jugem.jp/?eid=129
(書協のサイトには載ってないので、薬袋秀樹氏のブログのテキストを掲載)

 

〇口上

・例の件について、少し考えるところがあるので昼休みにだーっと打った。めずらしく長文を投稿してみる。

・あくまで僕の読み方を提示したもの(当たり前)。ただ、何人かの方の感想を拝見したりしてて気がついたことはあります。

・考えるところはあるんだけど、もちろん結論はない。あるわけない。そしてまとまってないです。

・かつ、ご叱正ください。

 

◯前提

・あくまでも「出版文化の継続発展」のための配慮と助力を求める要望であること。

・文芸書小委員会のものであることに注目。なので?議論の対象は文芸書に絞っている。

・宛は「公共図書館 館長 各位」で団体あてではない。団体としては直接の対応のしようがないし、すべきでもない。動きに対するコメントとかはありにしても。

・もともとは2016年早期に出すという話だったような。内情は知悉しないがいろいろ議論があったのかも。

・みんなが忘れていると困るのでリマインドしておくけど、2015年の日本図書館大会以降、以下の2つの動きがある。書協はそれなりに手順を踏んで礼を尽くしている。

・「公共図書館資料購入費増額に向け、出版界も応援します」(2016/2/24)
 http://www.jbpa.or.jp/pdf/documents/shiryouhizougaku.pdf

・【文部科学大臣宛提出文書】「図書館資料購入費、図書館整備充実に関わる経費について(要望)」(2016/3/24)
http://www.jbpa.or.jp/p…/documents/toshokanzougaku201603.pdf

・なおなお、今回の件の直接のスタートになってる2015図書館大会でのつぶやきなどは以下を。 もちろん、大会記録などのまとまった記録も参照して欲しい。
 http://togetter.com/li/887535

 

◯内容

・出版対図書館という図式は慎重に避けようとしている。図書館大会分科会に参加した図書館関係者の声を紹介して「出版文化を支える同志」とも位置付けている。そう読んでみるとより受け止めやすいかと。

・しかしその上で上手なのは、まずは『2015年「図書館と出版」を考える 新たな協働に向けて』を読みましょう、話はそれからだ、という作り。今、たたき台がこれしかない以上そうかもしれないし、この土俵に乗りにくい、ということなら、早急に別の、それこそ反証可能性も担保された土俵を作らないと。

・何人かの方がひっかかってた「資料費不足等を理由にした、リクエスト上位の図書の過度の購入や寄贈を呼びかける図書館の存在」の一文は確かにわかりにくい。「資料費不足等」と後段がどうもつながってない。

・2006年の「これからの図書館像」を上げているのも上手。各地でこの方向を念頭に、あるいはこれ以前から取り組んでいるけど、それが全体の構造を規定するには至ってない。そしてイメージも変えられてない(これはどの業界でも同じだと思うけど、こういうの個々の現場の努力でどうなるものでもないけど、そこに妙に注力してしまう)。

・最後の部分、住民の要望はわかるけど、無制限に聞いては社会が成り立たないでしょ、という行政機構全体に対する問いが、無自覚にかもしれないけど実は投げかけられている。

 

◯突きつけられているもの

・いろんな反応はあり得るけど、じゃあ図書館側が省みてどうか、ということが僕には重要。

・書協は、(よりよい社会を実現する→)出版文化が大事→図書館も協力を、と来てる。だからこそ、前提として応援しますという呼びかけと文科宛の要望がある。

・図書館側こそ、よりよい社会を実現する、は目標なはず。その点では共通基盤があって、可能なことを探ると良いのでは。

・でも、これがイコール今の出版文化が大事、とは僕はならない。編集の力や多様な情報の保障や学知の発展や文化資源の保存は大事と思ってるけど、これが今の「出版文化の継続発展」で可能かは不明というか論証されてないのでは。「出版文化の次の段階への発展」ならまだわかる。

・ただ、公立図書館は2016年冬になっても「大量生産された紙の本」を「貸し出す」ということに最適化されているし、実際にリソースをそこに割いている。目立つ活動はうちも含めたくさんあるけど、予算と人員の配分を見る限りそうでしょう。

・かつ、図書館界が、貸出数(と来館者数)以外の主要なベンチマークを持たない限り、そりゃ個々の現場で貸出数の維持や増進に向かって努力してるように見えるし、実際そう。今までの努力と動向は受け止めつつ、「利用」とは何か、がそろそろ問われてもよい。

・真剣に新しい評価基準が欲しいし、なきゃ作らなければ。そうでないと資料保存や多様な社会活動への支援は出来なくなる。

・これも機会にして、これらをひっくるめてどうしていくか、ということを考えたい。そういう議論にならないと、目的なく後退し続けることになる。

 

◯たとえば「まともな電子書籍」という投げ返し

・一例として電子書籍とかで共同戦線張れないものか考えてしまう。まだアイデアないけど、今のままだと電子書籍はうまく行かないし、デジタルアーカイブも連動しそうなことは目に見えてる。

・「じゃあ、複本あんまり買わないから絶版になっている書籍のデータをください」という要請もありかもしれない。こっちの方が使い方があるかもしれないですよ。

・オーバードライブ導入して成功例になってるはずのカヤホガのフェルドマンもかなり苦労して現状にこぎ着けているようなので、そりゃ大変だろうけど、これを機会に考え始める人が増えるといい。

高等教育と自律

 

今朝なんとなくつぶやいたことの、長い補足

僕はTLの諸氏とはなんかの縁で関わった以上、信頼せざるを得ない、という立場だけど、この数年の経験で、ハグに頼る種類の人間には、どうもテキストのコミュニケーションって難しいらしい(要するに考えている背景に比してテキストでの説明が足りてないらしい)、と感じ入っているので、 今朝の件、ちょっとだけ補足。

まず、大前提として、僕は人類の個々人への情報環境の保障は、社会全体で互いに分担しながら担保されるべきだし、不十分ならその調達をそれぞれで要求し合い、工夫すべきだという立場です(ここに外部を設定しないのがミソなんだけど、そこは大丈夫ですよね?)。

これは、歴史学でも資料情報の公開で闘争して、アーカイブズや図書館やデジタルアーカイブに、仕事の守備範囲を明らかに超えて関わっていることとも関連していますが、たぶん特殊にそういう立ち位置です(ここでは個人にかかる社会資本の話に触れてないのもわかりますよね?)。特に、初等・中等教育ではそうであるべきだと思う。

ただ、高等教育機関においては様相がちょっと異なっていて、社会全体での解決の追求と、学生・院生の各自への覚悟を迫ることは、両立します。自分が独立した学習者・研究者たらんとするときに、その学生・院生が社会制度を使いこなし、要求していく、というのは非常に重要です。でも足らずの隙間は必ず生まれる。そこに、自分の生活の何をどれだけ削って、どれ程を投資できるか、というのは自律の問題です。

言い換えれば、高等教育の根幹は、社会の「分担」の範囲に、どう個々人として参加するか、を考えさせる、ということ。投資先への観点で言えば、自分に関わる分野をどう支えるか、という心性の陶冶につながる。

こんな平凡なことは活発に議論されている諸氏は十分承知の上だと思うけど、積極的な「教育的配慮」として、環境整備と情報収集にお金や時間を投じるということは自律の問題だ、という観点から、個々の学習者・研究者(そして言わずもがなですが「専門職」にも)に折に触れて迫って欲しい。

で、一方で高等教育機関の意思決定にそれぞれが少しでも関わる存在として、社会全体からの同意と投資の調達にますます尽力してほしい。僕も自分の持ち場ではそうします。今回の投稿はそういうごく単純で明快な話です。