archivist_kyoto の雑記帳

ネタを考えるための雑記帳です。 NO HUG NO LIFE

僕のための宣言

段あまりこういう個人的なことは考えないし、考えてても誰にも言わない。だけど、12月半ばにちょっと思うことがあって、つらつらと書きつけてたのを、少し修正して投稿。
まあむりやりこじつければ、正月が誕生日で一年の宣言的なもの?がしやすい、というのと、節目の年齢を迎えた、というのと、実家でいろいろ感じ入ったことがあった、というのがある。
誰のタメにもならない話だけど、ひとつの個人史として。


には家産も家名も家職も、ついでに文化資本もない。
所有できてるのは、 本当にこの肉体と精神だけ*1


ともと僕の親族は、母方も父方も四国の山間を拠点としていた。
今もその多くが、本当の意味での限界集落に、その当事者として生活している。

両親が、教員・医者・公務員、あるいは、それなりの企業に勤めてる親族がいる、とかが今の僕の周りには多いのだけど、まったくそうではない。

親族それぞれと話をすると、みな個性豊かで賢明なのだが、ともかく本当に宮本常一が描いたような生活から出発して、いろいろ展開があって今に至っている。


こから街に出てきたベビーブーマーの両親は、肉体労働を伴う賃労働者(カラーの色は水色な感じ。小企業の、ザ・営業。)とパートの主婦という70年代のモデルのような夫婦。そして子供がうまれ、核家族を形成した。

本当に何も基盤なく、労働力のみを武器とし、わずかな資産を獲得しようと奮闘していた。
借家暮らしで*2、街の狭い範囲で18歳までに6箇所も引っ越しし(すごい)、最後にようやく一戸建を手に入れた*3

んな状況だから、家にある本は企業小説と歴史小説が少しばかり。自由に本を買うなんて、とてもじゃない、できない。今も残ってる数冊の子供向けの本は、よっぽど選んで買ってくれたのだと思う。中学生になっても、本は基本立ち読みするか、人から貰うか、借りるものだった時期が続く。

ただ、幼年期に本を読んでくれたし、買えないからこそ図書館を使う習慣はつけてくれた*4
あと、周囲の金銭的な負担や煩わしさが僕自身にはかからないように配慮してくれたおかげで、自分の始末だけを考えればよいように整えてくれた(これは今もそうかも)。

そして、多大な配慮と巧みな誘導で、地元ではその当時数校もなかった大学受験が可能な中高一貫校に行かせてくれた。
系統的に学習することが苦手で、興味あることしかできない僕のその時期の試験の成績は、それは手ひどいものだった。そして成績悪いのに関係ない本読んでる、という時点で、孤立してた。


の後、何とか地元から離れた別の地方の国立大学に潜り込み、そこで歴史学や資料の面白さに本格的に目覚めることになる。
良い教員や良い仲間に恵まれたおかげと、学生時代の途中にバブル崩壊の直撃を受けて、先をあまり考えず関西に出てきて、長い入院生活に突入する。

大学院に入れたのは、もちろん重点化の初期にあたってて、ともかくも頭数をかき集めていた時期だから。そして、院生たちもまだ楽天的に夢を描いていた。
そのあと悪戦苦闘が続き、20代後半にはかなり道に迷ってた。
明るく迷ってたけど、客観的に振り返ったらかなり恐ろしい状況だった。

30代はじめになって、縁があって、定期的に出勤し、しかも社会保障がある、という場を得た。それで、なんとか身を持ち崩すことなく踏みとどまった*5。それでも未だにいろいろグダグダなんだけど。

このあたりで一歩踏み外すと、僕も彼のように、廃止される研究室にこもって火を放ってたかもしれない。本当にそう思う*6

もかく僕は、両親が日本の深部から出てきたベビーブーマーの一典型であるように、ほんとの意味の地方都市*7から大都市に出てきた第2次ベビーブーマーのひとりなんだろう。文化資本がまったくないという点もかえって典型度が増すと思う。


う、第2次ベビーブーマー真っ只中。
つまり、有史以来の日本社会のなかで、同学年の人間が一番に多い世代。そしてロストジェネレーションの先頭。

今後、どの場所に行き、どの立場になろうとも、物事の縮小過程のあらゆる困難や軋轢に巻き込まれることが確定している。そして、少し長生きできたとしても、碌でもないことになることも見えている。

それでもなんとか通常の生活をできるだけの体力があることに感謝したい。そしてその上で、表面上はごく普通にふるまえてる上に(ですよね?)、ジェンダーは男性でもあるため、それなりのアドバンテージを得てることも知っている。


じゃあ、出来ることはなんだろう。

出自と世代という所与の条件の中で、そして今までの紆余曲折から得たわずかな力で、何が可能かを考えてる。

少しだけの利点があるとすれば、生活の場所も、社会的な環境も、そして職能も、望んだわけじゃないけど、変化し続けているということじゃないだろうか。悲しいことに、ほんとうに見えない世界がたくさんあるんだけど、僕にしか見えない世界がある気がする。
それを信じて、反転して、攻勢を企んでいきたい。

日常をこなしながら、小さな楽しみを見つけながら、友人たちと議論しながら。

*1:そりゃ、まだ権利の半分も得ていない狭い部屋と、そこに詰め込まれた紙束と、宵を越せないような現金と、いくばくかの積み立てがあるにはあるが、資産とは言いにくい。 

*2:今振り返るとネタにしかならないような間取りばかり。賃料安かったと思う。

*3:その直後、片親は見当識を失くすような病を数年間患った末に、僕が20代半ばの時に亡くなった。もっとも僕はその闘病の後半期は進学のため離れてて、同居や介護の本当の苦労は知らない。

*4:あ、本や図書館というのは、要するに、1970~90年代には時間軸も空間軸も異なる他の世界を知るためのツールとして、圧倒的に有効であったということだけです。地方都市のろくに旅行もできない家庭にはそれしかなかったわけです。映画やコンサートや演劇とかほぼ行った記憶ないし。

*5:超朝方にはこのとき変えました。遅刻怖いからね遅刻。最低限な自律からのスタートで、なんとも情けないけど。

*6:なお、奨学金は高校からドクターまで借りた。日本育英会(現:学生支援機構)と県の育英協会のを並行して借りたりしたので、最終的に1000万を超えた。大借金ではあるが、これがなければ教育を受けることは出来なかった。まあみなさんご指摘のように学生ローンにすぎないので返済しなければ、なのですが。ともかく緩めの審査で貸し付けてくれるのはありがたいこと。これは個人に選択肢を増やし、ひいては社会を活性化させる、もっとも有効な社会政策だと思うところです。

*7:新幹線沿線などという緩い地方都市じゃなくて。「陸の孤島」ですから、なにしろ。