口上
ええと、今年も、
慶應義塾大学文学部准教授*1/東京大学大学院情報学環客員准教授*2
であります*3。
なので、特に環境が変わるということもないのですが、これまでの振り返りと一応の抱負を書き付けておこうかと。
なお、
広い意味でのアーカイブズを、デジタルや制度からのアプローチで考えていくことになります。そこには文化資源から考えるMLAの課題や人材の話なども絡んでくるでしょう。 また、「長尾構想を僕たちの世代で受け継いでいく」という、たまにいってる本音とも密接につながる
心機一転のご挨拶 - archivist_kyoto の雑記帳
と書いて3年、
図書館どまんなかのことではなく、情報教育をしっかり行いながら、デジタルアーカイブやMLA連携の立場からいろいろ考えてみろ、ということだと捉えて、これまでの延長線上で、また大胆に柔軟に議論を組み立てていければ
心機一転のご挨拶2021 - archivist_kyoto の雑記帳
とも書いてから1年、それぞれ経過しましたが、課題は追求中です。
そして今現在もたくさん書かないといけないものがあるのです*4。その意味で、完全に逃避でもあります*5。
慶應義塾大学文学部で1年
ともかくも1年、大きな事故も起こさずにすごせました。
図書館・情報学専攻の教員・院生・学生のみなさんには感謝以外ありません。
比喩でなく、右も左もわからない状況で、いろいろ至らない発言ばかりしてますのに、みなさんに温かく?見守っていただいてます。
嬉しくて、たまにあの長い暗い廊下をスキップしたくなったりしてますが、まだ抑えてます。
もっとも、図書館情報学のど真ん中は、僕にとってはある意味新しい世界で、その厚みにいろいろ苦闘しているところがあります。ただ、周囲の環境や慶應の図書館のすごみも相まって、情報がある意味自然に入ってきてます。
さらに、いくつかフィールドらしきものを持てるようになって、いろいろご迷惑おかけしながらですが、考える梃子を獲得しつつあります。
つまりは、考える素材は圧倒的に手に入ってきてます。あとは料理の腕ですね。
それを対象の地域にも、図書館情報学にも、さらに博物館学やアーカイブズ、もちろんデジタルアーカイブにもお返ししていきたい。
一方、もともとの出自の分野では*6、この1年は本当にその体質と考え方にげんなりした面があります。
もうちょっと真面目に物事を考えないと、本当に分野が消滅しても、誰にも惜しまれない可能性さえある、という一種の焦りがあります。もっとも変革の契機はいろんなところにあります。可能性は感じるので、もう少し粘ってみるつもりでおります。
大学入学から30年
そして、先週ぐらいに気がついたのですが、なんと今年で大学入学から30年となりました。僕の場合、学士・修士・博士が別々の大学なので、指導教員も3名いますが、みなさんもちろん退職されました。というか、一番年長である修士の指導教員だった井口和起さんが、昨日ようやく福知山大学学長を退任されたので、本当にみなさん一応ご退職、ということに。
また、講義を受けた方々もほとんどがご退職されています。これも2月に気がついたのですが、受講した当時は留学先から戻られたばかりでぴちぴちの若手だったポーランド史の小山哲さんが60を越えてたのにひきました。
退職と年齢の話をしたのは、もちろん自分自身の先のことを流石に考えるようになってきたからです。周りでバタバタ病気になっている人が増えてきましたし、僕もいつまでも若いつもりですが、明らかに無理は利きません。
そして、学部・修士・博士、その後の友人たちは、それぞれステージを異にしながらも奮闘しています。これは刺激を受けつつ見習いたいところ。
これからどうしていくか
かと言っても、生物として先が見えて来てます。
しかし、まだ心も関心もふらふらしています。
いまのポジションも有期ですし。
ただ、以下のエントリーに書いたように、およそ文化資本を欠いた出自を持つ者としては、社会の平準化のため、みなが可能性を保持し続けられるための装置として、図書館・博物館などの社会施設とデジタルアーカイブについてしつこく考えて行きます。
そのなかで、自ずと発想もポジションが変化していくでしょう。
あまり自身のことには戦略的になれないので、次々ころがってくる機会を捕まえつつ、偶然の先に何かを獲得できれば。
そして、なによりも、〈正しいこと〉を持ち場でも、持ち場を越えても主張して行くしかないんだとより確信を深めてます。出来ることってそれぐらいでしょう。
で、その〈正しいこと〉が正しいことと確信を持てるように、日々省察を繰り返すのでしょう。労働的に物事を処理せず、活動を主にする存在となるために。
おそらく1年後になるであろう、次の記事の時には、どういうことになっていますか。本人はまったくわかってません。
乞うご期待、であります。